久しく感動とは縁のない日常を送ってきたわたし達日本人に、
忘れてかけていた「心の奥がウズくような感動」
をもたらしてくれた出来事が起きました。
八丈島沖での漁船転覆事故から四日ぶりに救出された、
「三人の漁師」の生還のドラマでございます。
いままで船の転覆事故に遭遇して助け出された人間の最長記録は
「76時間」だそうでございます。
誰れもが完全にあきらめかかっていました。
そんな絶望的な雰囲気のなかで「奇跡の生還」を果たしたのであります。
救出された三人の漁師は救出に来た海上保安庁の「海猿」が「助けるからな」
とかけた言葉を聞いて「まるで映画のようで格好いい」と思い元気が出て
「甦った」と伝聞されております。
「助けるからな」の言葉で甦えり勇気が沸いたからこそ6人の海猿潜水夫の
酸素リレーによって、力つきることなく海上に浮上できたのでございました。
まさしく「人はパンのみに生きるにあらず」でございます。
言葉こそが、人の心を動かし勇気を伝え生命を甦らせる力を持っているので
ございました。
人間はその生命の火が消えかけようとする最後まで、
聴覚は覚醒しているそうでございます。
救急医療の現場で担当した医師が患者が意識不明だと思い込んで
思わず「これは駄目だな」とつぶやいた瞬間、それを聴いた患者が
本当にパニックに陥いって「心臓停止」状態になって死んでしまう、
ということが起きたりしています。
手前どもが集団でヒンパンに「お上」のご厄介になっていた裏本時代、
気に入って専属として長く顧問契約をしていた弁護士がおりました。
まだ弁護士としては成り立ての「若者」でしたが、この弁護士の魅力は
なんといってもその「弁護力」以上に人柄の朗かさ、
にございました。
とにかく明るいのです。普段から打ち合わせの状態のときでも、
何にか冗談を云っては不謹慎なぐらいの大きな声を出して笑うのでした。
弁護士になり立てて青雲の志に燃え気分が高揚していたからでしょうか。
生来の陽気な性格がもたらした明るさでもあったのだとも思います。
彼が取り扱う「ワイセツ」犯という事犯がまた被害者のいない、
どちらかというと形式犯ともいえる事犯のせいだったからだとも
思います。とにかく相談に事務所を訪れると彼はいつも満面の笑顔で
迎えてくれるのでした。
それは顧客に対する弁護士としての礼儀を超えた表情でありました。
この弁護士の明るい笑顔の魅力が発揮されるのは、警察の代用監獄で
「囚らわれの身」となっている「店長」に担当弁護士として面会に行ったとき
でございます。
面会室で金網(当時は今日の強化プラスチックのボードと違って、面会室は
金網で仕切られておりました)の向こうに不安な表情で座っている店長に向かって、
田中角栄のようなあの右手を上げるポーズをしながら「大丈夫、大丈夫、
大丈夫ですから安心して下さい」とまず第一声を明るく言い放つのでございました。
もとより罪は盗った殺したではなく、「ビニ本を売りました」の単なるワイセツ罪
でございます。科せられる罪がどれほどのものであるか、捕まった店長本人が
先刻十分承知しておるのでありますが、それでもいざとなってみると
店長は不安なのでございました。
店長たちはいまでこそビニ本の店長をいたしておりますが、
前職は学校の先生であったり官公庁の公務員であったり、
商事会社の経理職を勤めていたり、と警察とは全く縁のない
真面目で勤勉な人生を送ってきた人達ばかりでございました。
店長として採用するときは(店長といってもお店には店長一人しかいない
店長職なのでございましたが)そうした地味な職業の経歴を持つ人を優先して
採用していたのでございます。
ですからいざ「逮捕」という立場となりますと、予想していたこととはいえ
誰れしも不安でパニックとなってしまっていたのでございました。
連日、取り調べの刑事さんにも厳しいお調べを受け、
相当なお叱りを受けております。
面会に来た家族にも泣き叫ばれて、
精神的にかなりまいり絶望的状態となっているときなのでした。
そんな状況下で明るい笑顔を振りまきながら「大丈夫、大丈夫」
と弁護士が突然現れ声をかけてくれたのでございました。
そのうれしかったこと「あれこそ地獄に仏の心境でした」と、
のちに保釈された店長さんたちが異句同音に言っていたものでございます。
そうした評価があってその弁護士を専属として雇い続けたのでございました。
青年弁護士は延べにして百人以上の「被告」を担当したと思います。
わずか二、三年のことでございましたので、弁護士としては金銭的収入を含め記録的な
「活動」となったのではないでしょうか。
言葉の偉力を知る必要性は「海猿」や「医師」「弁護士」に
限ったことではございません。わたしたちの日常生活においてこそ
よりその重要性がございます。特に「オマ○コ」時における
「言葉」の重要性は言わずもがのことでございます。
であるにもかかわらず「オマ○コ」時にいまだに「男は黙って」
という傾向が見られるのはまこに残念なことでございます。
相方の姫君にはクドいほど「こんなの初めてか」「いままで一番いいか」
「太いか」「堅いか」「大きいか長いか」「凄いか」と飽きる位いに
問い正すクセに、自からは「巧言令色すくなしは仁」を気取るとは、
あんまりでございます。殿方も負けないぐらいの大きな声を出して姫君の耳元で叫び、
あるいは囁き続けなければなりません。
何を!?「ああ気持ちいいオマ○コだ」と言葉に出して言うのでございます。
「締めるね」と囁くのです。「中がヒクヒクしている、ステキだね」
と語るのでございます。「ああおいしいよ」「中が溶けちゃうみたいで甘い」
と叫べ、というのでございます。喰いものであるまいし「おいしい」や
「あまい」などとは恥ずかしくて言えない、は一人よがりのタワゴトでございます。
そんなへ理屈を言う輩は「オマ○コ」をイタス権利はございません。
朝、会えば「おはよう」別れるときには「さようなら」夜会えば「今晩は」
という「礼儀の言葉」を交換することで人間社会は成立しているので
ございます。
奥方や恋人といえども他人さまの体でございます。
その他人さまの体に「チンポ」を差し込んでおきながら
「今日は」「ごきげんよう」も言えぬは無頼漢の所作、と言われても仕方がありません。
「オマ○コ」での「今日は」は「ああ、おいしいよ」
「ごきげんよう」は「甘いね、溶けちゃうみたいだ」
でございます。それ以外頭に浮かんだありとあらゆる
「感嘆の言葉」を「オマ○コ」をしているあいだ中
ためらうことなく口に出して吐き続けるべきなので
ございます。
そんなことをどうしても言えない、と首をスクめられる殿方には
「海猿」が放った「助けるからな」の言葉を思い出していただきたいので
ございます。
言葉は殴ぐってもいないのに人に涙を流させ、
百メートルを全力疾走したように動悸を早くし、
腹が痛くなるほどに笑い転げさせる力を持っている、
のでございます。
その力を借りずして姫君を「エクスタシー」に誘うとは、
車にオイルを注入しないまに走り続けようとするほどに無神経かつ
無知無謀なことなのでございます。
殿方よ、「オマ○コ」のときは必ず「海猿」の「助けるからな」
の言葉を忘れること勿れ、でございます。
「生」と「性」の最前線では「ことば」こそ「力」となるので
ございます。
八丈島のあの海域では、わたくし自身もこれまで二十回近く釣り船を仕立てて
釣りをしたことがございます。ハマチ、ヒラマサ、マグロ、鯛、モロコの
大物のメッカとして、あの八丈島海域は「釣りバカ」にとっての日本有数の
「聖域」なのでございます。
あるときの釣行では、あいにくの台風の襲来にぶつかって、
三日ほど船を出して釣りに行くことを断念させられました。
スケジュールの都合でどうしても明日は東京に戻らなければならない、
ということになりました。
三日もいて一度も竿を出さずに帰らなければならないのが
残念でなりませんでした。馴染みの船宿での主人に
「チョット沖に出るだけで、それでいいから」と無理を言って
仕立て船を用意してもらい、台風が去ったばかりの海に出ました。
台風一過、空は素晴らしく青く晴れ渡っているのでございましたが、
海の沖の方では波頭が白く立っているのが見えました。
船の船頭さんが港から船を外海に出すとき
「思いの外海が荒れているから、止めにした方がいいんじゃないか」
とアドバイスされました。
しかし、このあたりが自分の「度しがたき」あさましさ、
なのでございますが「はい」と言わずに、
「いや、これまでもこの八丈でこれぐらいの
荒れた海には何回も出たことがありますから大丈夫ですよ、
それに沖縄やパラオの海でこれ以上の荒れた海で船を出して
釣りをした経験がありますから、波には馴れています、
心配ありません」とカマしたのでございました。
そして、このカマしが命取りとなりました。
船頭さんはわたくしのカマしに何も言うでなく、黙って舵を取り続けて
沖に向かって船を走らせました。その表情に「お客のアナタが言うのなら」
の船頭さんのプロ意識が見えていました。
五分もたたないうちでございます。周りの風景が一変しました。
船の進行方向の右から左からマンションの2軒立ての一棟分のような
大きな波が船に向かってブチ当ってきます。
船は左右に大きく傾いて船の腹を見せながら進んでいます。
いつ船が転覆してもおかしくないほどのあまりの揺れの大きさに、
心と体が恐怖で氷つきました。船頭さんは、と見れば臆する風もなく
タバコを喰わえて平然と舵を取っております。
板子一枚下は地獄の稼業という、荒れた大海原で漁をする恐さと、
本物の漁師の胆力を骨身に染みて知らされました。
船に砕け散る波に全身ズブ濡れになりながら、
船頭さんのところまで這うようにして行って頼みました。
「港に・・・帰して下さい!!」
船頭さんは薄笑いを浮かべならが
「もったいないね〜」
と言いながらも舵を大きく切って船を港の方向へ向けてくれたもので
ございました。
竿を出すどころかズボンの中のサオが恐怖で
オモラシしていました。
もの心ついてオシッコを洩らしたのは
これまでの人生ではあのときがはじめてでした。
こうした経験がありましたので、今回の「遭難事故からの生還」は、
わたくしにとっては特別な感慨がありました。
あの4畳半足らずの真ッ黒な狭い船底中で3人の漁師は
よく耐えたものだ、と思うのでございます。
どんなドラマがあったのでありましょうか。
死の恐怖は勿論、まさしく人間の究極を見つめ続けさせられた4日間
であったでありましょう。いずれ時期が来て、すぐれた制作者の手によって
テレビや映画のドラマとなった今般の「ギリギリの生還の物語」を見てみたいもので
ございます。
お亡くなりになられた船長や行方不明になられた4名の漁師の皆さまには誠に
お気の毒なことでございましたが、生還されられた三人の「漁師の真実の物語」
を顕彰することは、それらの不幸な結果となった漁師のみなさまへのなによりの
鎮魂となるはず、でございます。
もし自分があの状況に置かれたら、
と想像してあの三人の漁師と同じく冷静沈着に振る舞い、
生還しえた、と断言できる人はいかほどいるでありましょうか。
わたくしめを含めて、ほとんどの皆さまがそう断言することは
困難ではないでしょうか。想像するに、あの状況に置かれていながら
自暴自棄となって暴走することなく、歯を喰いしばって裏返しになった船腹に
とどまることの出きえたあの三人の漁師は
「仲間を信じることができた、」人たちでした。
いざとなったら相手を殺してでも、この少ない酸素の空間で
自分だけ生き抜いてやる、と思わなかった人たちでした。
運命だから仕方がない、といざというとき自分の死を受け入れる覚悟を
持っていた人、だったのです。
これまで多くの人間の死を目撃してきた経験があり、
どんな死に方でもその時が来たらジタバタしないで
その運命を受け入れなければならい、
と死に対してのはっきりとした考えを持っている人たちで
ございました。
彼等三人の漁師から、わたしたちは勇気をもらうと同時に多くのものを学びました。
最後まであきらめないこと、
困難な状況にあっても他人を信じて励まし合うことの大事さ、
人を自分のこととして思いやる心が、
結果として自分を助けることになるのだという真実を、
でございます。
三人の漁師は生還と同時に、彼等でなければ得ることのできない
「宝物」を得た人たち、でした。
人間の本性を試される「死の現場」で「生涯の友」を、
持つことのできた「希有の人たち」なのでございます。
酒井法子さまが、介護のお仕事に進まれることを法廷で明言されました。
「介護はそんな甘いもんじゃない」
との実際に介護の現場でお仕事をされている方からの声が上がった、
かに報道されております。
酒井法子さまは法子さまなりの覚悟を持たれて介護のお仕事を選ばれたので
ございます。「甘い、辛い」は大きなお世話でございます。
さすれば介護は本当に優しい心の持ち主だけが従事しているお仕事なのでしょうか。
一日10時間立ちっぱなしの労働を強いられているコンビニのレジ打ちや
弁当工場の惣菜作り、鉄工場の旋盤の仕事と比べて、
介護の仕事の方がどれほど大変なのでしょうか。
介護の仕事は大変なお仕事、と特別視して持ち上げるのは
たいがいにしていただきたいものでございます。
マスコミが酒井法子さまの罪を6人殺しを噂される結婚詐欺女のごとくに
「極悪」に取りあげるのは、いいかげん自重していただきたいのでございます。
梨元などはあることないことを即興で書き上げた「法子さま」本を
緊急出版してひと儲けをたくらんでいるようでございますが、
芸能クズというより人間としてクラミジアのごとき最低最悪の
人間でございます。
酒井法子さまが道を違って犯した事件など、
いまどきの高級官僚どもが犯している犯罪と比べれば、
まことにとるに足らないことでございます。
次々に明らかになっている高級官僚たちの天下り天国の構図は、
民間であれば立派な背任横領の類いの重犯罪でございます。
高級官僚なる破廉恥漢どもは、まさに国家を触む白アリ、ヤクザ集団、
そのものでございます。
城山三郎著の「官僚たちの夏」であたかも官僚たちの働きが
今日の日本の繁栄の礎えを造ってきたかごとき描かれかたをしてりますが、
真ッ赤な嘘でございます。
近代から現代の我が国の経済の繁栄の歴史をことごとく克明に検証すれば、
官僚どもが果たした役割など皆無に等しいのでございます。
産業は彼等官僚の政府が介入しようがしまいが、発展をとげてきたのであります。
官僚どもがどんな局面においても行ってきたことは、産業政策に名をかりて
自分たちの省益の拡大と権限の獲得だけでございます。
霞ヶ関の腐った高級官僚どもの産業政策など百害あって一利無し、
でございます。
聞くところによると、ただいまのところの来年度東大法学部卒業生の
財務省志望者はゼロだそうでございます。
ようやく秀英たちの覚醒がなされたようでございます。
まことに慶賀なるかな、でございます。
マスコミの皆さまには酒井法子さまのことで
糊口をしのごうというあざとい考えとはいいかげんおサラバして調査報道による
「本丸勢め」でその意義を果たしていただきたいもので
ございます。
酒井法子さま、あなたさまが介護のお仕事とは、よくぞ見事な選択をなされた、
とその着眼点の鋭さに感服してございます。グッドウィルの折口の一件以来、
なにかと介護ビジネスはうさん臭いものと見られがちでございました。
その介護の世界を本来の健全な人に優しいお仕事として、
再びアピールするためには酒井法子さまはうってつけでございます。
このたびの事件のなかで浮かびあがってきたのは、アイドル出身の
タレントにしては意外に思われるような酒井法子さまの人柄の良さ、
でございました。
テリー伊藤氏のように女性コンプレックスの強い一部マスコミ人からは
「したたか」との批判でございましたが、
実際に彼女と付き合いがあった彼女の周囲の人々から聞こえてきた声は
そうした批判とは反対の好意的なものでした。
彼女へのそうした好印象の評価の表われが、
彼女の息子を息子の同級生の母親たちがスクラムを組んで守った姿に
見ることができたものでございます。
亡き父の前妻である義母との今日までの親しい交際もまた、
彼女の人間的な優しさを物語っているのでございました。
アンポンタンの亭主の存在が悪のすべてであったのでございました。
今回のことで酒井法子さまは「どん底」を経験をした人間でなければ
感じることが出来なかったであろう優しさに目覚め、
「なにくそ、」のエネルギーを持つことができたのだと思います。
介護のお仕事は将来性のある大きなビジネスでございます。
介護ビジネス企業や組織は、旗印となるイメージキャラクターの存在が
鮮明であればある程、消費者には分かりやすく受け入れられ、
強く発展できるものでございます。
マイクロソフトのビルゲイツ、ソフトバンクの孫さん、ユニクロの柳井さん、
ワタミの渡辺会長、ジャパネットタカタの高田社長、
古くはパナソニックの松下幸之助、ホンダの本田宗一郎、ソニーの盛田、井深コンビ、
近代において世界的企業に発展した会社には皆、
ユニークな経営者の顔の存在がありました。
芸能界においても生キャラメルで一躍200億企業を作り上げた田中義剛、
同じく二谷由利恵の「家庭教師のトライ」といったように大成功を勝ちとった例も
ございます。
酒井法子さまには日本の介護ビジネスに新な風を巻き起こすような
活躍を期待したいのでございます。
サン・ミュージックの相澤副社長などはこの際、芸能ビジネスから足を洗って
酒井法子さまと二人三脚で、ともに介護のお仕事に取り組んでいただきたいもので
ございます。世間的にも強烈なコンビとして、好感を持って迎えられることに
なるのではないでしょうか。
ソフトバンクやブジTVなども吉本興業のTOBに数十億の巨額な金を
投資しているくらいなら、余程酒井法子さまの「介護ビジネス」に
出資された方が数十年先を見すえた賢い選択となるのではないでしょうか。
わたくしも是非、酒井法子さまの介護法人にいまから予約を入れておきたく
希望しております。
酒井法子さまには「ピンチはチャンス」であることを自からの頑張りで証明し、
クスリの前科者たちの道標となるよう精進していただきたいのでございます。
2003年1月15日JR西新宿の自動販発券機の前でプロレスラー剛竜馬は
路上に落ちている小さな財布を見つけました。
誰れのものか知らん、とその財布を剛が拾って手に取ってみたときでございます。
傍で「ドロボー」と叫ぶ老婆の声がしました。
置ちていた財布はその老婆が落したものでした。
突然ドロボーとはこれいかに、あわてて剛が拾った財布を
老婆に返そうとした、その時でございます。
二人の若い会社員と思われる青年が、剛の首と足に組みついてきました。
剛は185センチ、体重100キロを越す偉状夫でございます。
が外見とは違って長いプロレスラー生活のせいで剛の体は
あちらこちらが傷んでいました。両膝は完全にイカれていました。
ようやく一歩一歩踏みしめて歩くのがやっと、のいわば障害者の体の状態でした。
正義漢に燃えた青年のタックルにあって、剛はその場にあっけなく
くずれ落ちました。
ほどなく駅員や警察官がかけつけることとなり
「ひったくり」の容疑をかけられてその場で御用となり、
そして警察の留置場にブチ込まれる破目となったのでありました。
翌日の東スポの一面で「剛竜馬、老婆から財布をひったくり逮捕される」と、
デカデカと報道されました。
しかし警察の取り調べ室で剛はかけられた「ひったくり」の容疑を
ガンとして否定し、決して認めることはありませんでした。
「認めれば罪は軽くすぐ釈放されるのだから」
との担当刑事の取りなしにも応じることなく剛は頑固に否認を続けて、
拘留はこの種の犯罪では異例の188日間の長期に及びました。
取り調べの結果は不起訴処分となっての保釈となりました。
が「無事、無罪」となって釈放された剛でしたが、
そのとき、剛は全を失っていたのであります。
かけがえのない家庭を失っていました。
剛には二女一男の子供がいましたが、下の男の子は当時はまだ小学生でした。
離婚は子供たちが学校でイジメにあっては可哀そうだから、
と獄中の剛から言い出し、取り調べ室で妻に届けさせた離婚届けに
判を押したのでした。
仕事も失っていました。
以前から全身満身創痍の体となって、満足の動きがままならなくなっていた
剛のもとへのプロレス興行の誘いはめっきり少なくなっていました。
でも一年のうちのわずかな回数でしたがリングに上がることがありました。
古いプロレス仲間や彼を兄貴分や師匠と慕うプロレスラーからの
「誘い」によるものでした。
それもあの逮捕拘留事件以後パッタリと無くなりました。
剛はもう一つの仕事も無くしていました。
逮捕時に「元プロレスラー、派遣社員」として剛の肩書きが
マスコミ紙上で紹介されましたが、剛はプロレスラーとして
年に一、二度リングに上がるとき以外は、知り合いに紹介された
ダンボール工場で派遣社員として働いていました。
体が大きく目立ってはプライドも傷つくこともあるだろう、
との会社側の配慮があって勤務はもっぱら夜間シフトで働いていました。
作業の内容はおもに工場内の床の上の清掃でした。
膝を痛めている剛は重い荷物を持つ作業はできませんでした。
「お情け」で雇ってもらい掃除の仕事に気真目な剛は手を抜くことなく汗を流していた
のでございます。
その「お情け」の仕事も、
あの事件あってバッサリと切られることとなって剛は
「無職」となりました。
剛は厚木の家賃4万円足らずの古ぼけたアパートで一人生活をしながら、
知り合いの所を訪れては仕事の斡旋を頼む日々を送りました。
食うのにも困り果てて、親しい人たちにわずか千円の金を
無心するとこも度々でした。たまにプロレスの仕事があって
数万円の金が入ると、あと先の生活のことなど考えることのない風に
酒をあびるほど飲み酔いつぶれた姿を見せるのでした。
そんな自堕落な剛に辟易して親しかった友達も一人去り二人去りして
晩年、剛と連絡をとるのはほんの限られた人間だけとなっていました。
剛が死ぬ数日前、何人かのレスラー仲間や友達のところへ
剛からのメールが届いていましたが、
誰れも「触わらぬ神にタタリ無し」と剛に返信を返すものはいませんでした。
知り合いの人間全員にとって剛は「疫病神」そのものとなっていました。
2009年10月15日夜、連絡がないことを心配した長女がアパートを訪れ、
部屋の中で倒れている剛を発見しました。
救急車で病院に運ばれ手当てを受けましたが、
3日後の10月18日、剛は敗血症のため永眠しました。享年53。
剛は神戸で生まれました。母子家庭の極貧の暮しで苦労する母や妹たちに
楽をさせてやりたい、できれば妹たちには高校や大学まで行かせてやりたい一心で、
剛は中学卒業を待たずに上京し弱冠14歳でプロレスラーとなりました。
剛竜馬のプロレスラーとしての絶頂期は二度ありました。
1987年、遠征していたヨーロッパから急拠呼び戻され
藤波が保持するWWWFのジュニア選手権王者に挑戦した頃、です。
その人気はプロレスの世界を超えたものとなり、
テレビ朝日系列の刑事モノドラマに菅原文太、鶴田浩二、梅宮辰夫の
豪華スターたちとともに刑事役で競演を果たしております。
二度目の絶頂期は1995年4月2日プロレスの世界では初めての試みとなった
週間プロレスの発刊元ベースボールマガジンが主催する東京ドームでの
オールスター興行でした。
その試合の第4試合に登場した剛は6万人の満員の大観衆に
剛のプロレスのスタイルである「ショア!」の大歓声で迎えられました。
試合後「バカ、バカ」の大コールをもって大観衆は剛のリング上での
みごとな闘いぶりを讃えました。
「バカ、バカ」とはその頃の剛のキャッチフレーズとなっていた
「プロレスバカ」から剛の「愛称」でした。
幾多の毀誉応変に色採られたプロレスラーとしての剛の人生でしたが、
その分水嶺となったのはあのJR西新宿駅での「一件」でした。
それは運に見果なされた人間がたどる、約束されたかのような
「悲劇」の瞬間でした。しかしあの場面で剛がプライドを捨て
「真実」を話すことができえたなら、
決して逮捕されることはなかったのでございます。
その「真実」とは、剛が隠していた「脳の損傷」のことでした。
剛はその「脳の損傷」ゆえに、突然、右手が勝手にオーケストラの指揮者が
タクトを振るような動きをすることがあるのでした。
たとえそれがプロレスの試合から受けた向こう傷であっても、
中風患者のように手が勝ってに動く、などとファンに知られることになったのでは
リングに上がることが出来なくなる、剛はそのことを恐れていました。
どう見ても傷つき衰えた剛に二度とプロレスラーとしての栄光のとき、
がやって来ることはないであろうことは明らかでした。
なのに剛は、本心からもう一度、あの東京ドームで満員の大観衆から
「バカ」コールを浴びる日が来ることを夢見ていたのでした。
剛は「プロレスバカ」そのものでした。
警察に連行されて行ったあのとき、老婆の財布を拾い上げて、
あと手が奪うように大きく振って動いたのは既往症であった
「脳の損傷」からきていることを警察官に訴えれば
きっと展開は大きく違っていたでしょう。
目撃者として剛に飛びかかった青年の
「剛が財布を右手に持って奪うように大きく頭の上で手を振ったから、
老婆から財布を強奪したと思った」
との証言がなされていたのでございます。
なに由に拾った財布を頭上で大きく振りかざすに至ったか、
診断を受けていた病院のカルテや先生の証言を求めれば、
嫌疑が晴れることとなるのは明きらかでした。
しかし剛は警察での取り調べ室で、自からの既往症について
一切語ることはありませんでした。剛の古くからの知人で、
剛のその既往症の症状を良く知る男が、警察に面会に行って
その真実を話すように、と諭しました。
しかし剛は
「そんな病気があることを知られたら、ファンに見放され金輪際
リングに上がれなくなる」
と断固として知人の進言を聞き入れることはありませんでした。
剛のプロレスラーとしてのプライドと夢が、剛のプロレスラーとしての未来を
粉々に砕いたのでございます。
剛はスポーツマンらしく、弁解じみたことを言うことが嫌いな男でした。
「ひったくり」報道がされたとき、その2年前に数本出演していた
ホモビデオが同時に「暴露」されました。
生活のために、ということもありましたが、当時金を借りていた
二丁目のバーのマスターから借金返済をせまられて、
やむなくその借金返済払いのために出演したという事情がありました。
しかし記者の質問にはそうした裏事情には触れず
「自分の体で稼ぐことのどこが悪いのか」
と泰然自若としていたのでありました。
剛は自身が中学中退という学歴でありましたが、本を読むのが大好きでした。
司馬遼太郎、松本清張の本はすべて読破していました。
生まれ変わったら何にになりたいですか、ときかれると臆することなく
「小説家」と答えていました。
伊集院静が好きで、一度氏と食事を一緒にしたときに撮った写真を、
剛はいつも胸ポケットに忍ばせ、ことあるごとには人に見せては自慢していました。
剛の生活のあまりの困窮ぶりに、見かねた知人が「生活保護」を受けるように
進言したことがあります。
手続きは全部こちらでやってあげるから心配ない、と。
しかし剛は頑として知人の進言を聞き入れることをしませんでした。
「生活保護を受けたら、俺はリングに上がれなくなってしまう、
そしたら最後だ。それだけは出来ない。俺が俺でなくなる」と。
座ったソファーから一人では立ち上がることができなくなってしまっている
体となっていながら、剛は「バカ」なのでありました。
剛は極貧の生活のなかでも、決してプロレスラーとしての「誇り」を
最後まで失わなかった男であっなりました。
剛は全身傷だらけで、満足に歩行することのできない満身創痍の身となっても
いつか必ずもう一度、あのリングの上に上がってスポットライトを浴びる夢を
捨てることなくもがき続けて生きました。
極貧のうちに一人淋しく生涯を閉じた
「バカが、最高の誉め言葉だった男」の物語りでございます。
「プロレスバカ」の人生を生きた男ありき、でございます。
死してようやく心から愛した家族のもとに帰ることができ、
高校生となった息子に抱かれた剛の遺影は、別れた恋女房が選んだ
一世を風靡した絶頂期のファイティングポーズのものでした。
やせ細った亡きがらと久しぶりの再会を果たした元妻は
「剛はようやく死ぬことができて、幸福だったと思います」
と葬儀に参列した古くからの知人たちの前で静かに語りました。
彼女のほほを濡らして流れた一筋の涙が、
剛の永遠の安らぎを約束してくれていました。
合掌。
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