| ◆ 篠山紀信、そして政治家と老人ホームのことなど・・・ | 2009.7.25 |
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皆さまご案内の通り、芸能界にはスターをめざすために 必ず通らなければならない「登龍門」というものがございます。 それはスポットライトに照らされてきらびやかで華々しいもの でございますが、別にスター候補生が人知れず秘密にその門を くぐるもう一つの芸能界の「登龍門」がございます。 女性のタイレントのタマゴにとって 俗にそれは芸能界の「裏登龍門」と云われるものでございます。 一般的に知られているそれは、芸能界の有力者の誰れ彼れの 愛人になること、でございます。 古くは永田雅一と京マチ子、仲代達也と神崎愛、長門裕之と紺野美沙子、 森進一と伍代夏子、東映京都プロデューサーと黒木瞳、草刈民代、 岡田裕介と吉永小百合、バーニング周防社長と藤あやこetc・・・とその噂 のカップルの例は枚挙にいとまがないのでございます。 ここでご紹介する「裏登龍門」とは「あの指の洗礼を受けたタレント女性は 必ずスターになれる」と囁かれているものでございます。 「指」とは誰れの「指」のことでございましょうか。巨匠篠山紀信氏の 「指」のことでございます。そしてその「指」とはカメラのシャッター を押す「手の指」のことではございません。 紀信氏の「足の指」のことでございます。では紀信氏の「足の指」 の芸能界の「裏登龍門」とはいかなるものなのでございましょうか。 その噂されるものとはこうでございます。 紀信氏はアイドルや女優志願の女の娘を撮影して興に乗ってまいります と「人払い」をする「癖」がございます。この「人払い」の「癖」は 紀信氏に限らず一流カメラマンに見られる「芸術手法」でございます。 が誰れ彼れを相手にして撮っても「人払い」をするわけではございません。 相手を気に入ったり熱が入ることがなければ「人払い」をすることが ないのでございます。 「人払い」はお気に入りに、となった「証拠」でございます。 二人きりになりたい、は一流のカメラマンも市井の人も その根っ子は同じでございます。 「なんとかしたい」という「欲求」が人を遠ざけるのでございます。 「芸術家」にとってのこの「なんとかしたい」のスケベ心は 「創造」の「源泉」をなすものでございます。 「先生はスキ者ばかりがなりたがり」は政治家や学校の先生をしのいで 「カメラマン」にこそ贈られてふさわしい言葉でございます。 一流といわれるおおかたのカメラマンという人種は、カメラマンという 職業に就いていなかったらとっくの昔に「ヘンタイ」「性犯罪者」の 烙印を押されていたに違いない、と思われるような並ハズレたスキ者揃い でございます。 なにやら「AV監督」に共通する「性根」なのでございますが、 であればこそ余人をもって変えがたい、魂を震感せしめるような 空前絶後のエロティシズムを描きだすことができるのでございます。 「人払い」をして「二人きり」になったからといって「よこしまな」 と批判するのはあたらないのでございます。 「芸術は結果がすべて」の世界でございます。 二人きりとなってリラックスし、 親密な交歓が果たせて「真実」に肉迫する映像をものにすることができたなら、 その芸術手法は自信をもって「貫ぬかれる」べきなのであります。 紀信氏のその芸術手法の「貫き」の特徴は、「足の指」の動きが 加味されて行なわれるところにございます。「素晴らしい」「キレイだ」 「最高!!」の賛美の声とともに見事なコンビネーションを見せて 「足の指」が動くのでございます。 どこに!?被写体となっているアイドルや女優たちの股間の中心に 向かって、でございます。それは最初は「猫の舌」のような軽い タッチを見せて股間に届くのだそうであります。 体験者によればそのあとその「足の指」は、用心深さを失わずに、 しかも大胆に辞書のページをめくるような巧みさをもって陰唇を開き 侵入を果たして貫いてくるのだそうであります。 と同時に常に「足の指」はバイブのようにブルブルと震える動きをともなって、 止むことがなかったというのであります。 なんという「足の指ワザ」でございましょうか。驚きでございます。 「世にこの人あり」と称賛される人は、ことごとくにおいて感動させられる 「裏ワザ」というものを秘匿しているものでございます。 通常はまかり間違えればあるまじき「いたずら」と非難される行ないを、 感服される領域まで高めて駆使されているのは「アッパレ」でございます。 時として、その芸術家の「神技」の「貫き」に「呼応」できずに抗い、 涙を流して異議を申し立てる初心者が出現するのでございます。 またその「事実」をタレントから打ち明けられたマネージャー氏が 逆ギレして「バカヤロー」と天下の紀信氏に向かってカメラを投げつける、 といった乱暴狼藉を働く者も出現することがあるのでございました (私の友人の凡庸なプロダクションマネージャー氏などはこの口でございました) 総じてこうした天下の紀信氏のありがたい「貫き」にガマンできなかった タレントや女優は、早晩鳴かず飛ばずとなって芸能界から消えていく運命 となるのでございました。 紀信氏の「足の指」の「洗礼」をスターになるための「登龍門」の試練 と受けとめ、「いまにみてろ」の情熱に転化して精進を重ねたものたちが、 運命に愛されスターの座を射とめるのでございました。 紀信氏の撮影現場でマネージャーたちがその進行状況を控え室でかたずを 飲んで見守っているのは、大御所の撮影が芸能界の「裏登龍門」としての こうした「位置づけ」からでございます。 このことの真雁は明らかではございませんが、 屈辱をバネにして奮起する強い精神力は、何も芸能界に限って「有効」なのではなく、 どんな世界においても大切なことでございます。 このたび解散になりまして選挙を控えている政治の世界においてもしかり、 でございます。政治の世界での「登龍門」は選挙でございます。 この「登龍門」には「裏」がございません。 真ッ向勝負で勝ち抜かねばならないのでございます。 私達が政治家に期待することは、ただ一つ 「税金をネコババなどしないで欲しい」につきる のでございます。 字を読めないとか、350万円のローレックスの腕時計をした 成金趣味であるとか、酒乱であるとか、愛人が3人いたとか、 強姦魔の教祖のしもべであるとか、はどうでもいいことでございます。 ただ「税金をネコババするようなことは慎んでいただきたい」 それ一点のみでございます。そして願わくば 「強きをくじき、弱きを助ける」心を涵養していただきますことを願う のでございます。 手前どものような政治や国にご支援いただくどころか、邪魔ばかりされてきた 稼業人のみならず中小企業のオヤジさんや多くの労働者の皆さんは、 本当のところ自民であれ民主であれ彼等政治家などには全く期待しておらない のでございます。 自助努力、でこれまでやってきました。これからもただひらすら 誰れにも頼らずおもねらず、の心意気で生きていく覚悟である のでございます。 ただできうれば「どうにもこうにもならず、ニッチもサッチも いかない状況」を生きる人への力を貸してやっていただきたい、 と願うのでございます。 それはまごうことなき明日の自分の姿、であるからでございます。 青くさい能書きを云うようで恐縮です、なにを増上慢な、 とお叱りを受けそうですが、このブログはそうした 「つらい人生」を生きる人たちに読んでいただければ、 と書かさせていただいております。 私自身がただ今も崖ぷちの人生を生きているからでございます。 成功したり、いい思いをしている人間の話に興味などないのであります。 もう駄目だ、という状況を生きているから共感し合えるのでございます。 この度の選挙で立候補され当選をめざす政治家の皆さんには、 是非街頭での土下座と募金活動の選挙運動をお勧めするのでございます。 どうせ当選すれば「選挙民の皆さま、お願いします」 と謙虚に振舞っていてたことなどスッかり忘れて豹変し、 ふんぞり返ることは明きらかでございます。 政治家になる人間というものはそういうものだ、 とよく承知していますから頭にきたりすることはありません。 せめて「登龍門」の選挙の間でも土下座をみせて募金をつのり、 本当は自分は何ものであるか、誰れによって生かされている のかを体と心に刻んでいただきたいと願うのでございます。 民草は他人様に心からのお願いをするときは「土下座」をするもの でございます。政治家の皆さまはその所作を何も恥ることはあたらない のでございます。 お願いする立場であれば「土下座」はあたり前のことでございます。 募金は民草の「浄財」によって生かされているのが政治家の立場で ございますから、土下座している前に募金箱を置いても何も不思議なこと はございません。 この募金は当選する為には必修のアイテムなのでございます。 オバマは先の大統領選でこの募金の力によって当選した、 のでございます。 金額の大小ではありません、先の米国の大統領選でオバマは インターネットによって富豪や大企業に頼らず5ドル10ドル の単位の「小さな」献金を庶民から集めたのでありました。 献金者の数は四千万人を超えた、と云われるほどのたいへんな数の人間が募金しました。 そして投票日にはこの献金をした人達が皆オバマに投票したのでございます。 何故なら献金したから、でございます。 たとえ5ドル10ドルでも献金すればオバマは「私のオバマ」 となったのでした。お金を払う効果、というものは そうしたものでございます。 たくみな不動産業者は数千万円の高額な物件を売るとき、 申し込みするお客にたとえ数千円でもいですから、 と申し込み金を預ることに執着します。 何故ならお客はたとえ数千円でもお金を払ってしまうと、 もうその物件は不動産屋のものではく「私のもの」としての 思い入れを持つことになるからでございます。 欠点も「我がものと思えば軽し傘の雪」短所も長所に見える思考回路が生まれるので ございます。 そうすれば時間を経ても余程のことでもない限り、 手付金を払った客は「キャンセル」をすることはしないものでございます。 選挙民に政治資金を献金してもらう、ということは、 「あなたの政治家になります」との契りを結ぶことでございます。 たとえ100円200円でも結構です、と相手のふところに飛び込んで お賽銭を投げていただき確実に一票をものにするのでございます。 100円一票の信念を持って募金とともにの選挙活動に 邁進されることをお勧めするのでございます。土下座をして お賽銭を乞う、そうすることによって自分はどういう存在であるか、 よくよく理解でき、その後の政治活動の糧となるのでございます。 紀信氏の「貫き」の所作と同じく、政治もまた 「結果よければすべてよし」の世界でございます。 こんな政治を心がけて欲しいものだ、と一人の友人の男のことを 思い浮かべるのでございます。その男は私と同年代、の男でございます。 男のこれまでの人生は好きなバクチがアダとなって女房子供に逃げられ、 すべてを失なった典型的なバクチ打ちの人生でございました。 とどのつまりはあるヤクザの事務所の清掃夫としての境遇を生きる身 となったのでありました。これとて実際はヤクザの競馬のノミ屋に金を 払えなくなり、体で払え、と拉致されて「強制労働」の日々であった のでございます。 ヘタな横好きのバクチ以外にこの男にはなんのとり柄がないもの と思われておりましたがただ一つ、この男が好きで得意とするものが他に ございました。 歌でございます。演歌なら古今東西の歌を千曲を越えるほどに、 歌詞を間違えることなく歌えるのでございました。 その声は実に低音の魅力がきいてハスキーで、高音ののびもよく、 自称「七色の声」もまんざら嘘と思えないほどに「お上手」なので ございました。 それは聞くものの誰れもをウットリさせるほどに、 たぐいまれなき歌唱力でございました。 ヤクザの企業舎弟の会社が東北にある温泉地のホテルを買収しました。 貸した金の変わりに、という程のいい乗っ取りでございます。 そのホテルに隣接して老人ホームがありました。 ホテルだけが目的でしたが、転売するまでの間 老人ホームの経営もしばらく一緒に見ることとなりました。 親分は根が人情家でございます。現場を見に行ったとき 立ち寄った老人ホームで、ホームに入っている老人たちと触れ合い 「仏心」が生まれました。あのお年寄りたちになんとか生きがいを 与えられないものか、老人たちの顔が子供の頃死別した父母の面影に重なって 見えたのでございました。 そこで白羽の矢が立ったのが、くだんのバクチで捕らわれの身と なっていた男でございます。「お前はあの老人ホームに行って毎日 老人たちに歌を30曲歌ってさしあげなさい」親分の命を受けて 男は身一つで翌朝一番の新幹線に飛び乗り、 その東北の温泉地に降り立ったのでございました。 そして着いたその日から、男の歌の先生の日々がはじまったのでございます。 身一つで、といいましたが男はたった一つだけ好きなギターを抱えて持ってきました。 そのギターを引きながらの毎晩の「引きがたり」が老人ホームでの 日課となりました。男の奏でる歌とギターの調べが 夜毎老人ホームに流れるようになりました。 収容されている老人ばかりでなく、面会に訪れる家族や職員たちも 男の上手な歌に酔いました。一ヶ月もたたないうちに男はその老人ホームに はなくてはならないほどの人気者となったのでございます。 老人ホームの実態とは淋しいものでございます。8割の人がなんらかの病気を発病し、 ほとんどが家族に見離され何年も面会に来る人とていない、 ただ死の瞬間を待つような生きる屍の日々を送っている人達 でございます。 そのクセ老人たちの身辺に何かあると、監督不行き届きを責め 法外な要求をしてくるクレーマー相手の因果な商売が、 老人ホームの施設経営のリアルな現実でございます。 男は暗闇を照らす一遇の光、となりました。 そのうちに老人たちの間に出来れば自分たちも「先生」のように歌が 上手に歌えるようになりたい、と希望する声が上がるようになりました。 男はいつか「先生」と云われる立場になっていたのでございます。 男の人気のほどが親分の知るところとなり、老人たちの希望を 実現するようにと「カラオケ・セット」が親分からプレゼント されました。「カラオケ・セット」が届いた翌日の朝から早速 「カラオケ指導教室」が毎日休むことなく開催されることとなったので ございます。 老人たちは人生を取り戻そうとするかのように、 喜々として元気いっぱいに歌いました。 この老人がこんな歌を知っている、こんなに歌が上手だ、老人の入居者同士の間に 新しい発見があり交流が生まれ、楽しい笑い声に食堂に設けられた 臨時のカラオケルームに満ちるようになりました。 「人生最後の桃源郷」そんなふうに思えるような空間がそこに出現しました。 春、夏、秋、冬、と年に四回のカラオケ大会が開かれるようにもなりました。 賞品は全部親分からのプレゼントです。 枕や手鏡、セーターやジャージの上下、チョコレートやケーキと 金額的には知れたものでしたが、老人たちは競うようにして歌を歌い 声を張り上げ大会で盛り上がるのでございました。 バブルがハじけたことに時期が重なり、ホテルも老人ホームも 処分することが困難なままに状況が過ぎていきました。 一年二年と歳月が流れていくなかで男に変化があらわれました。 ギャンブル狂時代の殺バツしていた眼はすっかりおだやかになり 「先生」と言われてる姿もスッカリ板についてやさしい表情の 持主となしました。 変化は男の身づくろいの品々にも現われました。 老人ホームに来る前はスカンピンで腕時計もドン・キホーテで 買い求めた千円のディズニーのものをしていました。 いまではその左腕に金ムクのローレックスの時計が光っていました。 洋服もフランドものにあつらえられて、クツもイタリー製の 10万円はするものをハいていました。極めつきは 彼の乗っている車でした。流行のレクサスなのでございます。 彼はどこからそんな「金」を得るようになったのでしょうか。 老人ホームでの「先生」としての彼の給料は寮と三食込みで手取り 8万円でした。 ノミ屋の時代に作った借金が何百万円も残っているのですから、 当然といえば当然の「処遇」でございます。 彼の豪華な生活を支えている資金元とはなんなのでありましょうか。 それは死んでいった「老人」たちでありました。 老人ホームの施設には約150名程の老人たちが 収容されていました。そのうちから毎月決まったように 二人から三人の老人たちが亡くなられて行きました。 そしてその亡くなられて行く老人たちが、 彼に感謝を込めて贈り物をしてくれたのでありました。 子供や孫に内緒にしていて隠していたの、 と自からの死期を悟った老人たちが「いままでのお礼に」と そっと彼の手に握らせてくれたもののなかにダイヤの指輪や貴金属、 財布や預金通帳がありました。なかには土地の権利書 まで彼に手渡した老人もいました。 彼はギャンブル狂でしたが、もともとは優しい心の持主です。 最初から計って老人たちの遺産や贈り物を狙って彼等に 優しく接したのではありませんでした。 老人たちには区別なく無条件に献身的につくし、優しく接することを心がけていました。 老衰が進んで、カラオケ教室に出向くことが出来なくなった老人がいると、 彼は自分から出向いてその老人の室を訪ね枕元で歌を歌いました。 ギターを片手に老人のリクエストを聞き、老人が満足して静かな 眠りにつくまで、何曲も何曲も飽くことなく歌い続けるのでした。 彼は単に流行の歌を歌うだけではありませんでした。「九段の母」「王将」 「北の宿から」「兄弟船」「津軽海峡冬景色」といった名曲の数々の歌詞を 老人の名前に換え、老人の人生になぞった詞に直して歌いました。 この世にたった一つだけの、老人の人生の賛歌が室に響き渡りました。 人は死に直面したとき 「果たして自分の人生に意味があったか」 を思いわずらい苦しみ悩むのでございます。 あなたの人生は素晴らしかった、あなたの人生に感謝します、 あなたを決して忘れません、とまさにそれは「神の恩寵」 となって老人の枕元にふりそそいだのでございます。 彼が豊かになっていることを知っても親分は咎がめ立てすることは ありませんでした。親分は人生の達人です。 人生は驚くべき出来事がおこりえることを知っていました。 そしてそれに抗うわぬのが最善である、との知恵を持っていました。 施設の誰れももまた、そのことについて触れたり問題にすることはありませんでした。 彼自身のきらびやかな贅沢は、 老人たちのスターであるゆえの当然の振る舞いに見えました。 彼が東北の温泉地に行ってから五年経ちました。年に二、三度 上京してきます。連絡があって会うことがあります。 あれほど好きだった酒やタバコを彼は一切口にしなくなりました。 勿論バクチのバの字でさえ彼の口からは一切出ることはありません。 とりとめのない話をして時間をすごし、一緒にコーヒーを飲んで別れます。 この前に会ったときに 「秋元順子女史と同じように、自分も歌手デビューに挑戦してみようかな」 と真顔で言いました。 「おじいちゃんやおばあちゃんたちが本物の歌手に教えて もらったり歌ってもらったりしている、と思うだけで気分が全然 違うんじゃないかと思って・・・」 澄んだ目をしていました。 人間はこんなにキレイな目になれるんだ、と感激しました。 人間の生きた証しは、愛するものの記憶の中にあり続けるものでございます。 いい人生でしたね、決してあなたを忘れませんよ、 と歌いあげてくれるやさしさのなかで成仏ができたなら、 これにすぐる人生の最後のときの「最高」はないでありましょう。 |